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賢楽寺通信
「アウシュビッツを訪ねて チェコ・ポーランド旅行記」
今回の旅の目的は、ポーランドにある世界遺産「アウシュヴィッツ・ビルケナウ−ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所」を訪ねることにある。人類が犯した最大の負の遺産である。チェコ入国後プラハからアウシュビッツに近いポーランドの都市クラクフまで列車の旅を計画した。私と新進気鋭の浄土真宗若手僧侶2人の男3人の旅となった。
10月30日 フランクフルト 雨
旅の終わりの日。雨が降りそうだ。こちらに来てから晴れ間は一日もなかったが、雨も全く降らなかった。飛行機は午後1時40分に出発するので午前中はちょっと時間がある。朝食を取り、市役所辺りまで散策する。今までの都市とは全く違っている。ビル群もあり、伝統的な建物にしてもきれいすぎて造り物のようにも思える。雨も降り始めた。スターバックスがあったので入ってカフェラテを飲む。ちょっとミルクの味が違っているように思えた。トラムも近代的で味わいというものはない。発券機でチケットを買い、そのトラムでホテルまで戻った。

フランクフルト中央駅は終着駅で、プラットホームも多く、たくさんの電車がとまっている。もちろんICEもあった。11時過ぎの電車で早めに空港へ向かう。来たときと逆で電車を下りてひたすら上に向かえば出発カウンターとなる。しかしフランクフルト空港のカウンターの数は、とんでもなく多く、ルフトハンザ航空のカウンターだけでもどれだけあるのかわからないほどだ。こうなったら係員に聞くしかない。航空券チケットを見せ、どこに行けばいいのか尋ねるととにかくここの列に並べという。普通は搭乗する航空機ごとにカウンターがあるはずだが、一斉に処理を行っているようだ。しかもものすごい人の行列になっている。30分以上は並んでいただろう。やっと私たちの番だ。「隣の席を」というと搭乗券を指さしてB42に行けという。なんと座席番号は空欄のままだ。
ここでは荷物だけを預ける仕組みになっているのか?理解できないままそのB42に向かう。そのB42というのは搭乗口のようなのだ。向かう途中にセキュリティゲートがある。D君はドイツにあと二日間滞在となるので、いきなりここでお別れとなってしまった。今回4度目のセキュリティゲートなので要領を得ておりすんなり通る。出国審査へ向かった。ざっと比較して優しげな入国審査官の前に並ぶが、私たちの二人前の中国人(?)が長いこと質問を受けている。我慢の限界だったので隣の列へ移る。その後中国人は入国審査官によって別の所へ連れて行かれていた。
いよいよB42だ。確かにカウンターがあった。しかし一向に手続きは進んでないようだ。一体どうしたことか。そこでも数十分耐える。コンピューターのミスなのか。本人のミスなのか。数人は手続きを終えるが、数人は側で待たせられている。いよいよ私たちの番だ。「10分ほどそこで待て」。この空港、なんと要領が悪いのか。もう搭乗までに残された時間はあまりなく、フランクフルト空港内でゆっくりと買い物をしようという思いは既に打ち砕かれ、せめて免税店で何でもいいから買わせてくれ、という感じになってきた。「イトウ」と呼ばれ、やっとのことで搭乗券が手に入る。55E席。いやなアルファベットだ。F君とは隣でもなんでもなかった。わずかに時間が残されているので、とりあえず免税店でチョコレートだけを買った。海外では搭乗2時間半前でもちょっと恐かったので4時間から3時間前には到着するようにしたい。
帰りは日本人ばかりのように思える。10時間ほどで関西空港到着となる。機内に進むと、案の定55Eは後方ど真ん中の席。あきらめて小説を読みながら、最後の旅を楽しんだ。関西は快晴の朝だ。
無事に7日間の旅を終えることができた。いろんなトラブルにも見舞われたが、ひとつひとつがずっと前のことのように、しかし鮮明に、思い出される。すべてが貴重な体験で濃厚な七日間だった。なんといってもこんなマイナーな旅に賛同してくれて付き合って下さったD君とF君二人には感謝の気持ちでいっぱいだ。とても一人ではさまざまな局面に対応できなかったと思う。旅の経験豊富な二人にはさまざまな面で大変学ぶところが多かった。
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text by Tsunenori Ito.